稲上耳鼻咽喉科・気管食道科|津市河芸町東千里の耳鼻咽喉科

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先日スノーボードでグランスノー奥伊吹に行ってきました

三重県津市から高速道路を使わず一般道路で2時間ほどで行けました。

ただ3連休の中日ということもあり現地にはたくさんの人がいてすごい賑わいでした。

私はいつも岐阜県の方にスノーボードに行くのですが今回は甥っ子姪っ子と行くため近場でキッズパークがいいと聞き、グランスノー奥伊吹に行きました。

そこで、道中には関ヶ原の戦国ロードがあり、東と西ということで左右には違う家紋が入った旗があり気になり関ヶ原の戦いについて調べてみました。

「天下分け目の戦い」とも言われ、日本史の大きな転換点になった「関ヶ原の戦い」。関ヶ原の戦いとは、1600年に、現在の岐阜県不破郡関ケ原町で起こった「徳川家康」率いる東軍と「石田三成」・「毛利輝元」率いる西軍が争った戦いです。

天下を統一した豊臣秀吉の死後、徳川家康は大名同士の婚姻や領地の取引などの禁止されていた取り決めを無視して、力をつけていきました。

それに反発した石田三成は、徳川家康が会津の上杉景勝に謀反の疑いがあるとして、討伐に出た隙に諸国の大名に呼びかけ、徳川の兵がいる伏見城に攻撃をしかけたそうです。

石田三成挙兵の知らせを受けた徳川家康は、小山評定と呼ばれる軍議を開き、石田軍との戦闘を決定しました。

この時、石田三成を筆頭として西に集結した反徳川派が西軍、それに対抗する徳川家康派が東軍となって、1600年に関ケ原の地で戦うことになったそうです。

当初有利とされていた西軍・石田三成は苦戦を強いられ、約16万人の大人数が参加した戦いにもかかわらず、わずか6時間程度の時間で東軍の勝利となりました。

この決着には、西軍の主要人物が戦いに参加しなかったこと、大名の裏切りがあったことが大きく関わっています。

西軍の総大将だった毛利輝元は大坂城にいましたが、関ヶ原の戦いの間中、指揮を執ることもなければ出陣することもなく、大坂城から一歩も出ませんでした。

また、関ケ原の南に位置する南宮山に陣取っていた毛利家武将・吉川広家も、自陣から全く動かずに戦いを終えたのです。

さらに1万人以上の軍を率いた小早川秀秋の裏切りをきっかけに、多くの大名が西軍から東軍に寝返ったり、戦線を離脱したりして、東軍の勝利へとつながっていきました。

関ヶ原の戦い後、石田三成は捕らえられて処刑され、徳川家康は征夷大将軍となって、江戸幕府を開きました。

その土地土地でいろんな歴史がたくさんあることを知って、どこかに出かけるとき、その地域の歴史に触れながら行くこともまた違った楽しみ方があるのだなと感じました。スノーボードの道中ではありましたが歴史の一部に触れて良い経験でした。